任天堂を知りたい人
- 任天堂の社史がわかる本を知りたい!
- 任天堂の重要人物に迫った本は無いの?
- 任天堂のものづくり哲学を解説した本を知りたい!
こんな悩みを解決できる記事を書きました!
僕は任天堂ファン歴30年を超えていて、関連記事を3記事書いています。
今から紹介する『任天堂を深く知るための本【11選+α】』を読めば、
任天堂の社史や重要人物、ものづくり哲学を理解することができますよ。
この記事で『どの本を読めばいいのかな?』という悩みはなくなるので、読み進めてくださいね!
目次
任天堂の歴史を知る
1889年創業し花札・トランプの製造販売を行う。
山内溥時代に、横井軍平、宮本茂が開発した「スーパーマリオ」の大ヒットにより世界的ゲーム会社に成長。
岩田聡時代には「ゲーム人口の拡大」をかかげ、「ニンテンドーDS」「wii」を開発し市場シェアを取り戻す。
君島達己以降は、自社IPを活用し2021年にUSJ「スーパーニンテンドーワールド」を開園した。
任天堂驚きを生む方程式
ニンテンドーDS・wiiでゲーム業界の覇権を取り戻した時の任天堂を取材した本。
ゲーム業界全体が長大路線に向かっていた中、どのような考えでDS・wiiが生み出されたのか?
横井軍平の存在にも触れていて、任天堂の歴史や哲学を把握するには最適な一冊です。
ニンテンドー・イン・アメリカ
アメリカ人ジャーナリストの視点による任天堂の歴史がわかる本。
NOA(任天堂の米国法人)の社長を任された荒川實(娘婿)の成功までの軌跡を詳しく知ることができます。
現地で販売したアーケードゲームの在庫を抱えたことにより、宮本茂が発掘されるきっかけを作ったと言えます。
任天堂歴代社長を知る【山内溥】
祖父の2代目社長が病気で倒れ、急遽22歳で任天堂3代目社長に就任。
横井軍平・宮本茂の才能を見いだし、京都の花札メーカーを世界的なエンターテーメント企業におしあげた。
2002年にハル研究所から呼び寄せていた岩田聡に社長職をゆずり取締役相談役に就任。2013年、85歳で逝去。
任天堂商法の秘密
ファミコンが大ヒットした時の任天堂を取材した本。
当時の総務部長、開発部長などにも取材していますが、山内溥の言葉に痺れます!
市場調査? そんなことしてどうするんですか?
任天堂が市場を創り出すんですよ。調査する必要などどこにもないでしょう。
是非読んでもらいたい一冊ですが、1986年発行の本なので、入手困難です。(アマゾン
任天堂歴代社長を知る【岩田聡】
ハル研究所の社長として、経営を立て直す。その手腕を山内溥に評価され、任天堂取締役経営企画室長として入社。
2年後、山内に後継者として指名され、42歳という若さで任天堂4代目社長に就任。
ニンテンドーDS,wiiの大ヒットによりゲーム市場の中心へと返り咲く。2015年、病気により55歳で逝去。
岩田さん 岩田聡はこんなことを話していた
岩田さん 岩田聡はこんなことを話していた。 / 岩田聡 / ほぼ日刊イトイ新聞 / 糸井重里
ほぼ日刊イトイ新聞や任天堂公式ページに掲載された「社長が訊く」から抜粋した、岩田聡の言葉をまとめた本。
岩田さんのクリエイティブ・経営理念・価値観・哲学が凝縮されていて、山内溥・宮本茂のことも多く語っています。
宮本茂が語る岩田さんも収録されていて、色んな面の岩田聡を知ることができます。
任天堂ものづくり哲学を知る【横井軍平】
大手への就職に失敗し、近所の任天堂に入社し設備のメンテナンスを担当。
おもちゃを作って遊んでいたところを、山内社長に見つかり商品化するよう指示を受ける。『ウルトラハンド』として開発し大ヒットを記録する。
横井が考案した「ヨコイズム」「枯れた技術の水平思考」は、任天堂の開発方針に今でも影響を与えている。
1996年、独立のため退社。1997年、交通事故により56歳で逝去。
横井軍平ゲーム館
横井軍平が任天堂で開発した商品(ウルトラハンドからゲームボーイポケットまで)を、個別に解説した一冊。
商品が開発された時代背景とともに開発秘話、アイデア、ものづくり哲学を知ることができます。
任天堂ノスタルジー 横井軍平とその時代
任天堂ノスタルジー 横井軍平とその時代【電子書籍】[ 牧野 武文 ]
「横井軍平ゲーム館」を下敷きに、新たな取材・調査を加え、再構築した一冊。
任天堂がまだ花札を作っていたころに現れた青年が、大好きなものづくりを通して世界のニンテンドーに押しあげたノンフィクションを、時系列で読むことができます。
枯れた技術の水平思考とは何か?
対談、インタビュー、掲載された文章など様々なメディアから、横井軍平の言葉を集めた発言集。
今も任天堂に強く影響を与えている哲学「ヨコイズム」「枯れた技術の水平思考」を、本人の言葉で確認することができる貴重な一冊です。
任天堂ものづくり哲学を知る【宮本茂】
1977年デザイナーとして任天堂に入社。
アーケード基盤の在庫を抱える問題が発生し、その基盤を活かすため、
ゲームの開発を行うことになり、宮本茂が抜擢される。
横井軍平と共に「ドンキーコング」「スーパーマリオ」を開発し世界的なヒットを記録する。
開発を通じ、横井のゲームつくり哲学は、宮本に引き継がれている。
任天堂の法則
ニンテンドー64時代(1999年)、広報やハード設計、ソフト開発など多部署のキーマン6人(出石武宏、上村雅之、竹田玄洋、宮本茂、稲葉憲治、今西絋史)にインタビューした本。
特に宮本茂のインタビューが多く載っていて、ゲームデザイン論、仕事論など知ることができます。
ゲームの話をしよう
ファミ通で連載されていた、風のように永田(現・ほぼ日、永田泰大)によるゲーム対談集の一部に収録。
ニンテンドー64(1998)〜ゲームキューブ発売前(2001)までの、ゲームに関する話がざっくばらんに語られています。
その中で、宮本茂流ゲームづくり哲学を知ることができます。
当ブログ宮本茂関連記事
上記の紹介した本のように、宮本さんの本は少しのインタビューや対談したものしか無いです。
手前みそですが、当ブログで3記事書いてます。ぜひ、読んでみて下さい!
元任天堂社員による学びを知る【前田高志】
任天堂を退社後、「株式会社NASU」を設立。手がけた名刺がきっかけとなり、レディオブックとフェラーリが日本企業として13年ぶりにパートナーシップ契約を結ぶ。
勝てるデザイン
毎年話題になる任天堂の会社案内パンフレットや、スーパーマリオ30周年のロゴをデザインした時の話が載っています。
デザインが凄いのはもちろんですが、任天堂時代から研究してきたプレゼンが面白い!
岩田社長も会社案内パンフレットのプレゼンを毎回楽しみにしていたそうです。
元任天堂社員による学びを知る【玉樹真一郎】
「Wii」の企画担当として、初期のコンセプトから企画・開発すべてに横断的に関わり「Wiiのプレゼンを最も数多くした男」と呼ばれる。
2010年任天堂を退社後、「わかる事務所」を設立し、企業、自治体のコンセプトワーク・アプリ開発などを行う。
「ついやってしまう」体験のつくりかた
スーパーマリオは何をすれば勝ちか?クッパを倒すこと?ピーチを助けること?
答えは、右に行くことです。
スーパーマリオ1-1コースに仕組まれた「ついやってしまう体験」を、丁寧に解説してあります。
まとめ
花札を作っていた京都の会社が、どのようにして世界的な娯楽企業に成長したのか?
紹介した本を読んでいくと、その時々に重要人物が現れ状況が変わっていったと思います。
なので、人物にスポット当てた記事の構成にしました!
今後も「任天堂を深く知るための本」を見つけたら、追記していきますね。